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老場坊1933
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上海ネタでもうひとつ。2008年、上海にまた興味深いスポットが誕生していた。「老場坊1933」と言う名前のその場所は、かつて屠殺場があった場所で、1933年に建設された建築をそのまま残し、ギャラリー、イベント、商業、オフィスの複合施設としてリノベーションしたものである。上海にはこれまで、新天地、田子坊、莫千山路50号(M50)など、古い建物をリノベーション、コンバートした施設、地区は幾つかある。新天地は商業的な色が濃く、田子坊、M50は、アーティストの活動から発生して、過度に洗練されていない素朴な良さを残しており、いずれも、雰囲気は異なるものの、古の上海らしさと現代的な用途を混合した面白い場所をつくっている。しかし、この「老場坊1933」は、同じリノベーションでも、これらとはかなり異質である。この古い建物自体が強烈な個性を持っているからである。古き良きものと現代の混合といった次元を超え、どこか未来的な様相すら漂わせている。正面ファサードの幾何学的ラティスに始まり、中央の円形の建物と、周囲と縦横に繫がる空中回廊、上に広がる柱とシャープなコンクリートの表情。方向感覚を失うような迷宮的なプラン。ここまで強烈な個性を持つと、少々商業的につくり変えてみても、決して新天地のような平和な商業施設にはならない!
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この建築、解説によると、1933年、当時の上海自治政府が、イギリスからバルフォアという建築家を呼び、300万ドルを掛け、つくらせたものであるという。使用したセメントはイギリスのポーツマスから取り寄せ、50cmの厚さのコンクリートによって、自然空冷システムをつくるなど、当時の最先端、最高の技術により、世界最大規模の屠殺場をつくったとされている。しかしこの解説はかなり不可解である。色々と調べてみても、イギリスのこの時代にバルフォアという名で、これほど先鋭的なデザインをしそうな建築家は見当たらない。では建築家ではないとして、初代上海領事のジョージ・バルフォアは、1893年に没しているので違う。バルフォア宣言で有名なアーサー・ジェームス・バルフォア(「バルフォア宣言」で有名)も、同時代ではあるが恐らく無関係。もう一人、エンジニアで国会議員、ポーツマス出身のジョージ・バルフォアという人物がいて、今でも現存するバルフォア・ベッティという建設会社の創始者。この人物の可能性もあるが、Web上で調べた限り、彼のキャリアの中には、上海との関係は一切出てこない。上海の建築史において、1920Sに外灘のネオクラシックの建築群が完成し、30Sに入り、アメリカからのアールデコの影響を受けた建築群が出始めるといった通説の中で、正面のファサードにこそ、アールデコ的な装飾を見る事が出来るとしても、内部の空間性はそれだけでは説明がつかない。1933年と言えば、バウハウスが閉校した年であるが、イギリスでは、バスホルド・リベトキンのテクトンが活躍していた時代で、そうした影響が読めなくもない。恐らくは、もっと特殊な経緯がありそう。(誰か、知っていたら教えて下さい)

→以下に詳しい解説有り
http://www.sbfnet.cn/useful/history/21.html

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さてこの施設、イベント、商業、オフィスの複合施設としてリノベーションしたもの、とされているが、今の時点でも、見たところ半分近くが空室のようである。特にオフィススペースとおぼしき部分は、殆ど空いている。イベントでは盛況とも聞くが、やはりオフィスとしては使い難いという噂もある。極めて堅牢なつくりと、かつて牛が歩いた細くて高い塀の通路。このような建築を残したこと自体に大いなる価値を認めるとすれば、当初のコンセプトを継続し、維持していって欲しいと願うが。
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by mindscape-ltd | 2010-06-04 23:44 | 上海サンポ
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