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頤和園の「蘇州街」 へ
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前回の蘇州から、北に飛んで、北京郊外の頤和園という、こちらも世界遺産に登録されている庭園に行ってみましょう。280haの広大な敷地を擁する頤和園ですが、そのうちの約200haは、昆明湖という湖で占められています。広大なスケールで展開する水と山(しかもほぼ人工的に造営されたもの)、その中に点在する宮殿、塔などのパビリオン群で構成され、とにかく中国的スケールの庭園です。

この庭園の北のはずれ、主要な建造物が南面して並ぶ万寿山の北の麓に、「蘇州街」と言われる一角があります。長さ300m程、幅20m程の水路に沿って、江南地方の水郷都市をモチーフにした街並をつくっています。ここだけは、頤和園の中でも特異な、ヒューマンスケールで、とても歩きやすいエリアです。中国の庭園は、極めてコンセプチュアルに空間が構成されている場合が多く(風水や四神相応を拠り所に)、俯瞰的(つまり、ハイパーヒューマンスケール的に)にプランニングがなされているため、そうした知識が無いと、空間に立っただけで直感的に意図を読み取ることはとても難しく、私の個人的な感覚では、時に場が間延びしていたり、ただ広いだけに思えたり、ある意味、空間的緊張感に欠け、植栽も効果的に見えなかったり、あまり良い印象を持てないことも間々あるのですが、ここ蘇州街は、テーマパークっぽい雰囲気も持ち合わせていて、とても親しみやすい場になっていると思います。それもそのはず、ここは、かの清朝、六代皇帝、乾隆帝の時代に、自らが昔に訪れた江南地方の街並を愛しんでつくったとされ、この中に64軒もの店を置き、宦官たちに店員役をやらせ、船で乗り付け、買い物ごっこをして遊んだ、という逸話が残されています。離宮としての庭園の一番北の外れだけに、このような俗っぽい場を造り得たのでしょう。

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ところで、庭園やランドスケープにとって、「トランスファー」(移動性:transferability)という概念は非常に重要とされています。一見矛盾しているようですが、ランドスケープが、安定的で、永久的、またその場所固有の風土や場所性を前提として成立するとすると考えたい一方で、他方、人やものが移動したり、全く別の場所のものが挿入されたり、ということによって、際立ったランドスケープが成立する、という例は、古今東西とても沢山あります(殆どがそうであるといっても過言ではありません)。この蘇州街では、北京から遙か南の都市の街並をつくっていますが、ほぼ同時代のイギリスの風景式庭園でも、時空を超えて、ギリシャ神殿風の東屋や廃墟を持ち込むような庭が流行っていました。つまり、ある場所の中で、遠くに旅行に出かけて行ったような気分を味わおう、といった発想です。日本でも長崎にオランダの街並をつくる、といった例がありますが、ここで注意したいのは、前回見た実際の蘇州の街並と、この頤和園の蘇州街の街並、どう見比べても、同じではない、ということ。ほんものの蘇州には、ここまで派手やかな彩色はありませんし、門柱のようにアクセントをなす建造物もない。リズミカルに雁行する護岸も、モチーフは、あっちにあったかもしれないけど、ここでは、このスケールの中で見事に生きている。水際の際どい動線なんかは、実際の街ではあり得ないでしょう。つまり、この蘇州街をつくるにあたっては、相応のイメージの転換と、精緻な設計が施されているように思えます。単なるコピー&ペーストではありません。「トランスファー」という概念は、「トランスレート(翻訳)」という過程を経て、とても安定した場をつくりだしているのです。

注)この「蘇州街」は、建造当時の清漪園の一部として、乾隆帝の時代、1770年頃つくられたが、第二次アヘン戦争で、英仏軍に破壊される。その後、西太后の時代に他の部分が再建されるが、「蘇州街」は再建されず、1990年に再建されたものである。オリジナルの「蘇州街」との違いを指摘する向きもあるが、大きな構成、スケール感などは、ほぼ再現されていると思われる。
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by mindscape-ltd | 2010-06-15 21:22 | travel
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